とかく、オタクという人種は人間関係が苦手です。苦手でない人もいるかもしれませんが、私を含めあまり得意でない人のほうが多いように思えます。

それがオタク同士の人間関係になればなおさらです。私も少ないながらもオタク関係の友人が何人かいました。しかし、その多くは途中で喧嘩別れしてしまいます。今回はオタク同士の人間関係がなぜ続かないのか?続ける為にはどうすればいいのか?どういう事に注意していくべきなのか?を、考えていきたいと思います。


■オタク故に生じる亀裂。


過去、オタ友達と喧嘩別れした時の状況を考えてみると、そこには一つのオタク特有の原因があるような気がします。オタクゆえに相手が許せないという事と、オタクゆえに人間関係より優先させてしまうものがあると言うことです。

オタクというのは、基本的に自分の好きなことについて他人に話すのが好きな人種です。好きである事はついつい熱を入れて話してしまいます。人によってはそういう話をされる事を嫌がる人もいますが、とりあえず、今回はそう言う人については横に置いておきます。そもそも、そういった話題を許せないというのであれば、オタクとは本当の意味で友達にはなれません。

私は自分があまり関心のない話題でも、いろいろと参考になったり勉強になったりするので嫌ったりしません。むしろ積極的に聞かせて欲しいです。面白可笑しく話してくれるなら大歓迎です。

自分の好きなことを話す。それは構わないと思います。自分だって好きな事について相手に聞いてもらいたいですからね。自分の話だけ聞いてもらって、相手の話を興味ないからと切り捨てるのはあまりにも身勝手ですしね。少なくともここはギブアンドテイクでしょう。そんな訳で、自分の好きなものの話をする事に対してはなんの嫌悪感も感じません。いくらでも話してもらってもかまわないです。

しかし、絶対にやってはならない事がひとつだけあります。それは相手の好きなものを貶す事です。自分の好きなものを良く見せる為に相手のすきなものを悪く言うなんて人がオタクの中には多いです。さらにはそれを教えてやる事が親切だと思ってさえいます。しかし、自分の好きなものを貶されて喜ぶ人はいません。オタクだからなお、自分の好きなものを悪く言われるのは許せなく思います。


■壺のたとえ話


私はこういう話をする時、例え話で次のような事を話します。

たとえば、骨董市で、安物だけれどもとても形が気に入った壺があって買ったとします。それを友人に見せたところ、そんな安物と馬鹿にされ俺が価値というものを教えてやるといって、自分が見せた壺をたたき割って、友人が持っている自慢の高級な壺を「これがいい壺というものだ」なんて言って見せ付けられたとします。

そんな事されて、その友人や、友人が持っている高級な壺を好きになれるでしょうか?自分の気に入って買ったものをたたき割られていい気持ちがするでしょうか?

私なら、その友人の壺がいくら高級なものでも、認めたくありません。その高級な壺が実際どうかは関係ありません。友人の行為、相手のものを壊してまで自分のモノを良く見せる行為のせいで、その壺が大嫌いになるのです。

たたき割るというのは極端な話ですけど、それに近い事をやったり言ったりする人がいたりします。たたき割った事に関しては相手に価値を教えてやったとして、親切をしてやったとすら思っています。

オタ仲間の間で絶対にやってはいけないタブー。それは相手の好きなものを貶めるという事です。さらにその行為をしておいて自分の好きなものをほめる行為は下の下です。オタクだからこそ余計にそういう行為は許せないのです。


■相手を理解するのではなく迎合させようとしていないか?


では、もし相手の好きなものが気にくわない時はどうすればいいか。答えは簡単です。黙っておけばいいのです。下手に嘘ついて相手に合わせることはありませんが、わざわざ口にして相手の気分を害する事もありません。

言わずにおくことも人間関係において大切です。わざわざ相手の事を否定したり指摘したりして、嫌われる事になんの意味があるのでしょう。言わなくていいことは思っていても言わない。そういう気遣いが良い人間関係を築くのには必要です。ただ、相手が犯罪に手を染めようとしていたり、あきらかに間違った道に進んだり、間違った考えに陥ったりしていた場合は別ですけどね。


相手は好きなものだからと言って自分も好きにならなくてはいけないという事はありません。好きなものが違っても友達にはなれます。相手がそういうものを好きなんだと理解してあげればいい。相手がどういう人間かという項目にただ書き加えればいいだけ。それを訂正しようとか修正しようとかするから、相手のとの摩擦が生じてしまいます。

オタクに限らず、人間関係の構築の下手な人は、あるがままの相手を理解し許そうとせずに、相手が自分と同じでなければ気に入りません。相手を理解しようとするのではなく、相手を迎合させようとするのです。それは間違いだと私は思います。お互いに違った考えや好みがあるからこそ独立した個人として人間関係を築いていけるのです。お互いに違う人間だと認め合う事ができなければ、いつかは亀裂が生じるでしょう。家族ですら、なかなか自分と同じような考えや趣味を持ち得ないのですから。

また自分が相手に迎合しようとするのも間違いです。自分の考えや自分の趣味などを相手に合わせる必要もありません。大切なのは違いがあっても相手を大切に思うことです。違いがあってもそれを受け入れてこそ、お互いの人間関係が成り立ちます。

そんな違いの中で共感するものがあれば喜べばいいですし、違いから見えてくるものだってたくさんあるはずです。違いを認めた上でお互いを大切に思える事こそが大切です。それが成熟した人間関係というものだと私は思います。


■相手のと人間関係と相手を負かす事とどっちが大事?



趣味の話題や、好きなものなどを巡って言い争いになった時に、オタクはオタクゆえに自分の言い分を通そうとします。相手を打ち負かす事しか頭の中にない状態になるのです。相手との人間関係を考えた場合に妥協せねばならない場面で妥協できません。

ゆえにこういう事態になると相手を叩きつぶし、許しを請うようになるまで徹底的に叩きつぶします。相手は友人なのにです。相手がいくら話をそらそうとしたり、話を終わらせようとしたり、冗談で済ませようとしたり、なだめようとしても止めません。むしろそれを逆手に取って攻撃してきます。そうなるともう取り返しの付かないところまで行ってしまいます。

その言い争いに勝ったとしても得られるのは自己満足だけで、それと引き替えに大事な理解者をひとり失う事になります。自分のケチなプライドを通す為に友人を失う事になります。相手を打ち負かし、友人を失ってまでそんな自己満足を得てどうしようというのでしょうか?

少し冷静になって、「自分の主張を通す」事と「目の前の友人を失う」事を比較して考えてみましょう。それでも自分の主張を通さねばならないと思うのであれば仕方がありません。もし相手がそれが原因であなたの元を去ろうともそれを許容できるならば、そうすればいいでしょう。

言い争いを止める為に、自分を曲げる必要はありません。お互いに妥協点を見つければいいだけです。どうしても見つからなければ、そのことについて話すのを止めればいいだけです。お互いの友情が大切だからこれ以上話をするのを止めようと言えばいいだけです。それでも相手が止めないのであれば、たぶんそれは相手があなたとの友情より、自分の主張を通す事を選んだという事でしょう。その場合、非があるとすれば相手の方です。

話をしていて、ついつい熱くなる事もあります。そんな時にやりすぎないようにするために、ある一定の線引きは絶対必要だと私は思います。いくら親しい関係であっても言ってはいけないこと、踏み込んではいけない部分というものはあります。議論がヒートアップしてしまうと、知らず知らずのうちにその線を踏み越えてしまう事も良くある話です。

私も、それ以上踏み込んで来たら、喧嘩せざる得ないという場面に何度も遭いました。それ以上言うと私はあなたを許せなくなるよというような場面です。特にオタク気質の人は、そういうこちらの意図に気が付かずに、線を踏み越えてくる人が多かったです。「それ以上、言うな」とこちらがストップかけても無視して突っ込んで来る傾向があるように思います。


■叩きつぶされ友人を失って。


ひとつ例をあげましょう。昔、ネット上でゲーム好きの友人が出来ました。会うことはなかったですが、長文メールをやりとりして、かなり親しくなりました。

しかし、ある時、その人が私がホームページで絶賛していたあるゲームについて、面白くなかったと苦情を言ってきました。彼は徹底的にそのゲームの面白くなさを説き、私が騙したというような事さえ書いてきました。私は謝り、話題を変えようと、別の話を振って済ませようとしましたが、その部分にさえ噛みついてきました。さらには過去のメールにまでさかのぼって嫌言を書いてきました。

どうにかして喧嘩にならずに済ませようとした意図さえ、攻撃の材料に使われてはもうどうしようもありません。ああ、この人は私をやっつける事さえできればいいんだなと感じて返信を書くのを止めてしまいました。友人を失うのは悲しい事ですが、そこまで言われて黙ってられるほど私も人間が出来てはいません。

正直言ってしまえば、彼とは細かい部分で趣味が合わなかったんでしょう。私も彼が薦めたゲームを買って、あまり面白いと思えませんでした。しかしそのことで彼を責めたりはしませんでした。それが当然だと思ったし、買う判断をしたのは自分なので、責任は自分にあると思ったのです。相手もそういう考えでいてくれてると思っていましたが、それは私のうぬぼれだったようです。

ネット上での人間関係なんて所詮こんなものかと悲しい気持ちになりました。1年以上の交友はなんだったんだろうかと。まあ、この件に関しては、世の中にはいろんな考えの人もいるし、こういう事もあるだろうなということで、ひとまずは納得はしましたけどね。


■オタク故に相手に甘えすぎてしまうこと。


オタクはなかなか一般には理解されない趣味であるからこそ、それを理解してくれる人間とは仲良くなれる気がします。趣味を理解してくれる人には心を許そうと思います。しかしそれが故に、相手との距離感を見誤ってしまう場合がよくあるのではないでしょうか?仲間だから友達だからと甘え過ぎてしまう事があるのではないでしょうか。それだから、相手を決定的に傷つける言動に気が付かず友情を失ってしまうのではないでしょうか。

親しい仲にも礼儀ありという事を忘れずにしておきたいです。いくら気の合う相手でも、人としての最低限の礼儀を忘れてしまえば嫌われてしまいます。気の合う、理解し合える友人だからこそ、きちんとしておかねばならない部分があるんだと私は考えます。友人に甘えるのはいいのですけど、最低限の線と最低限のルールは厳守すべきなのではないでしょうか。

大切な理解者を失わないためにも、少なくとも自分からその禁を犯すような事はしないようにしたいです。


■オタク仲間と仲良くしていくために。


それでは、まとめます。

1)相手の好きなものを尊重する。たとえ自分が嫌いであっても貶さない。
2)自分の我を通す事より、相手との人間関係を尊重する事のほうが大切。
3)どちらかが叩きつぶされるまで戦うような事はしない。そうなる前に止める。
4)相手を迎合させようとせず、相手を理解しようとする。その上で人間関係を築く。
5)友人に甘え過ぎない。親しいからこそ礼儀を重んじる。


私は相手の興味のある事、好きな事についての話ならいくらでも聞いてやろうと思ってます。ただひとつしてほしくないのは私の好きなものを貶すという行為や言動です。自分がやられて嫌な事は相手にもしないのが人間関係の基本。私もそういう事を人にしなように注意していきたいです。

そして、常に相手との人間関係を念頭に置いて、「自分の我を通すことと相手との人間関係を築く事のどちらが大切か」という事を忘れないようにしていきたいものです。

特に私のようなオタク気質の人間は、歯止めがきかなくなる場合が多いので、注意していきたいです。お互いがそういった事に注意を払えば、オタクはオタク同士仲良くしていけると思うし、オタクだからこそ上手く付き合えばお互い良い刺激になって、良い人間関係を築いていけるのではないのだろうかと私は思います。



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